Kako Comics

Twitterの漫画をまとめます

生きて欲しい

7月22日

生きる意味

この漫画は、実は2回ほどTwitterにアップしている。最初は300ほど「イイね」を頂いたが、2回目は6900ほどの反響があった。

後日に載せるが「買占め」をする方に対して「ガーゼやうがい薬の必需性」を、啓蒙の意味を込めて描いた漫画のスレッドに掲載したからだ。

爆発的な反響だったので、注目を集めると反応がこうも違うのかと驚いた。

 

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著名人が相次いで亡くなる

 この漫画に登場する人物は、私の夫と私と、それからコロナや自死などで亡くなった著名な方だ。コロナで亡くなったお二人や、SNSでの誹謗中傷で亡くなったという木村花さん、日本中が衝撃を受けた三浦春馬さんである。

その後にも芦名星さんや竹内結子さんなど、著名な方の自死が驚愕過ぎて、にわかには信じられなかった方も多いと思う。

 

理由はご本人しか分からない。

心や体が病んでいたのかも知れないし、生に対する希望が失われたのかも知れない。

死に希望を持ってしまった結果かもしれない。

 

私のポンコツ

私自身が感じる自分のポンコツ感は、自己肯定感の低さが原因ではあるが、実はもう物心がついた頃から続いている。

 

その上で癌の手術後に、私は「声」が出なくなった。だから喋る時は「人工喉頭器」という文明の利器を利用する。

上手に使いこなせるまでには相当練習が必要で、私はかなり習得したハズだった。

それでも外で使用すると、その抑揚のない機械音に驚かれて、ジロジロと失礼な視線にうんざりする。

もちろん私は一生この「声」なのだから、そのジロジロ目線を受け入れるしかないのだが、これがまた私のポンコツ感を助長する。

 

ところが家族はそう思っていない。

娘は私の肉声を、ほとんど覚えていない。癌で声を失った時は、娘は小学校3年生。

そりゃ覚えていないよなぁ!と、ビデオなどに残されている私の肉声を聞くか?と私が問うても、娘は望まない。

 

娘にとって私の「声」は、この機械音なのだ。

つまり私の存在は、もはや肉声ではなく、この文明の利器の声であり、それを使って喋っている私の存在を、家族は受け入れている。

 

NHK番組の特集

指定難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者さんは、発病から数年で人工呼吸器が必要となるそうだ。しかし多くの患者さんは、その装着を否定するという。それは本人の苦痛はもちろん、介護の負担や費用などを鑑みた結果と想像する。

しかし人工呼吸器を装着することで、その後10年以上生存する事もあるという。

 

ALSの患者さんは、動けない、喋れない、出来ない苦痛と立ち向かわなくてならず、その苦しみは年余にわたって続く。

その苦痛は、私には想像の域を超えないが、回復しないという病状であれば(ALSの比ではないが)もう既に経験済みだ。現在も在宅医療患者であるから、通院や入院も多く、家族には申し訳ないほど迷惑が掛かっている。

だからもし今の私の病状が進行して動けなくなったら、私の家族はどうするだろうかと考える。

 

番組に出演されていた患者さんの一人は、生きる気持ちを持ち続けておられた。まだ若いお医者様だった彼には、奥様と小学生の息子さんが居る。

ご家族は実に上手に、彼の瞬きと目線で、彼の心を言葉に代えてくれる。そして彼の意思を尊重し、人工呼吸器の管理や介護を担う。

 

そのご家族には、彼の存在が必要なのだと感じた。

そこに生きているという存在。

 

そして病人には、生きる為の希望が必要だ。

その希望の一つは、人に必要とされているという自覚だと思う。

 

「生きて私がそこにいる存在が必要」と言ったおっと~の言葉は、私に安堵と生きる希望をもたらせてくれる一言であったのに、間違いはない。