幸せに 生きてます
3月30日
私は別に 不幸じゃない
今年の6月に盲腸結石で入院したのだが、その病院で働いておられるお掃除の方が、私の部屋に来る度に「可哀そうね~」と仰る。
私は想像力が「まとも」なので、そのお掃除の方の脳内で、私がどの様な立場にいるのか、想像に易い。
だから私はただ黙ったまま、「はいはい」と半泣きの顔を作っておどけてみせる。
そういう風に、私を「憐れむ方」に読んでもらいたい漫画だった。
私の親族のお話
私の親族に、障害を持って生まれた子供がいる。
遺伝子の疾患だというが、彼女なりにしっかりと成長している。5歳になった現在ではハイハイと寝返りでどこへでも行く。目を離すと、あっという間に居なくなる。
お座りまでもうちょっと!
言葉は出ないけれど、大人の言っている事は分かる。私が意地悪にも、持っているオモチャを「ちょうだい」とすると、物凄く考えた挙句、投げてよこすww
その顔が面白くて、意地悪オバさんがやめられない。
彼女が3歳頃だったと思う。
彼女のママが我が家に遊びに来て、将来の不安や家族の話をしていた。
その時はまだ寝たきりの彼女だったが、私の「人工喉頭器の声」に反応したのか、興味津々に私を見る。
そして彼女が私に にっこりと 笑いかけた。
その顔が私には 本気で 天使に見えた。
彼女のママに「今の笑顔 見た??超かわいい!!」と正直に喜ぶと、ママもニタ~ッと笑って「こうやって時々、媚を売るんよな!」と爆笑した。
どこにでもある、ごく普通の親バカと、バカおばさんである。
幸せなのだ。
宝物である。
いつか彼女の話を漫画にしたいが、彼女のママに許可をもらわなくてはならない。となると漫画を見せなきゃならない。照れる‥
コメントは、ほぼ肯定的
「幸せの尺度って千差万別だと思うの。そして、どんなに恵まれた環境でも、幸せを全く感じられない人もいるものね。幸せを感じるセンサーがあるとしたら、それが頻繁に作動し、些細な事に幸せを感じて笑顔になれる人間になりたいです。」
幸せのセンサーという言葉が、とても気に入ったので紹介する。
本当に、小さな事で感じられる幸せ程、人生の楽はない。
毎日の小さなメロンで、私は生きていけるのだ!
コメントは殆ど肯定的で、リツイートして下さった方も共感して下さる。
しかしやまゆり園の事件ほど極端でないにせよ、病気や障害が不幸だと感じている人は、世の中にゴマンと居る。
だが当の本人を含め、毎日の生活を共にし、擁護し、愛情を注ぐその家族や友達にしか分からない幸せがあるのだと、理解して欲しい。
では、また次回